息子がまた、「頭が痛い」と、学校を休んだ。
病院では『片頭痛』といわれ、
姿勢の悪さも関係していると
今はリハビリにも通っている。
本当なら、「大丈夫?」と優しく声をかけたい。
でも、私はそういうときほど、
冷たく、「姿勢が悪い!って言ってたでしょ」
そう言いたくなってしまう。
心配しているはずなのに、
優しくできない。
何度も言っていたこと
今まで、息子には何度も言ってきた。
「姿勢を気を付けて!」
「スマホばっかり見すぎないように」
そのたびに、
分かってるって!
というぶっきらぼうな返事。
きっと、私の言葉なんて半分も届いてなかったのだと思う。
だから、頭が痛くなるようになって、
つらそうな息子をみると、
心配より先に、
「だから言ってたのに!」
という気持ちがこみ上げてしまう。
学校を休むほどしんどい日も、息子はスマホを手放せない。
その姿を見るたび、またイライラしてしまう。
もちろん、
つらそうな息子に腹が立っているわけではない。
ただ、何度も伝えてきたことが
まるで何も残っていなかったみたいに感じて、
やりきれない思いになるのだ。
「だから言ったでしょ!」と思ってしまう私
本人が一番つらいことくらい分かっている。
頭が痛いのも、
思うように動けないのも
きっと息子自身が一番苦しい。
それでも私は、ただ「かわいそう」と思うだけでは終われなかった。
「だから言ってたでしょ!」
そんな言葉が、のどまで、いや、もうほぼ、漏れている。
優しくしてあげたい。
心配もしている。
でも、その前に
何度も言ってきたしんどさが気持ちが先に出てしまうのだ。
気を付けてほしかった。
もう少し、自分の体を大切にしてほしかった。
そう思いながら大切に育ててきたからこそ、
頭を抱えている息子をみると、
苦しさと、
やり場のないそ気持ちがあふれてくる。
そして私は、
優しくできない自分にも、また傷ついてしまう。
結局、私ばかりが気にしている気がする。
夫にも、
「姿勢のこともう少し注意してほしい」
と頼んだこともある。
息子は野球を教えてくれるパパのことを尊敬している。
だから、パパの言葉なら受け入れてくれるかもしれない。
そう思っていた。
でも夫は、
どこか他人事のようだった。
本当に聞こえていないのか、
それとも、言ってもできないのなら仕方のないことだと思っているのか。
そのたびに思う。
こういうことを気にして
口うるさく言って、
嫌われ役になるのはいつも私だ。
そう思うと、
心の中がザワザワするのだ。
私は、息子の頭痛の心配をしているのか。
それとも、”母親”としての
自分自身の立ち位置を心配しているのか?
時々分からなくなる。
優しくできない自分にもまた傷つく
頭が痛い息子に必要なのは、責める言葉じゃない。
そんなこと、私にだって分かっている。
でも、分かっていることと、
できることは違う。
心配なのに、
うまく優しい言葉にはならない。
責めたくないのに、先にイライラが出てしまう。
そしてその後で、そんな自分にまた落ち込む。
母親なら、
どんな時でも無条件に優しくできる。
そんな理想がある。
でも私はそんな風にはなれない。
心配といら立ちと、
言っても変わらない虚しさと、
優しくできなかった自分への自己嫌悪。
その全部が、
波のように何度も押し寄せてくる。
それでも、心配しているんです
そんな風に、
口うるさく、言ってしまう私だけど、
自分の立ち位置のことまで気にしてしまう私だけれど、
心配している気持ちは本当だ。
優しくできない自分。
嫌われたくない自分。
そんな感情の陰に隠れて、
時々、
息子から、
そして、自分自身からも見えなくなってしまうけれど。
その奥には、
やっぱりちゃんと息子を想う気持ちがある。
だから、次こそは、
「また?」ではなく、
「大丈夫?」と1番に言える母でいたい。
、、、まぁ、
きっとまた注意してしまうだろうけどね。
それでも、少しずつ、変わっていける自分でいたい。
優しく言いたいのに、気がつけば注意ばかりしてしまう。
そんな息子との日々は少し前にも書いています。
☞今日も私はスマホと戦っている~思春期の息子と伝わらない親心~
口で言うばかりはしんどいので、最近はこんなものを取り入れたりしています。
本人がどこまで意識しているか分からないけれど
少しでも楽になればと思っています。
同じように悩んでいる方がいたら、こんなものあるよ、
くらいの気持ちでこちらに置いておきます。

