思春期の子どもに対して、
「可愛くない」と思ってしまったことはありませんか?
私はあります。
小さい頃はあんなに可愛くて、
「ママ大好き」と言ってくれていた子なのに、
冷たい目で見られたり、
そっけない態度を取られたりすると、
心がすり減ってしまう。
そんな日が続くと、
大切な我が子なのに、
正直「可愛くない」と思ってしまう瞬間が
時々ありました。
そしてそのたびに、
「母親なのに、こんなこと思ったらいけないのじゃないか」と
自分を責めたりもしました。
でも、今振り返ると、
子どもを愛していなかったわけではなく、
私自身が疲れ切っていたのだと思います。
この記事では、娘2人と中学生息子、
3人の思春期を通して私が感じた、
「期待を手放すこと」と「無関心でいること」の違いに悩んだ
母の本音を書いています。
反抗期の子どもを可愛くないと思ってしまった日
今までは何でも話してくれたのに。
「ママ聞いて!」と、兄弟で競うように、
話をしてくれていた日々。
「話したいことがある人は手をあげてね。」
なんて言っていたのに、
それがある時から、急に途切れた。
まるで心のシャッターを下ろされたような感覚だった。
子どもたちの心が見えない不安。
何も話してくれない寂しさに戸惑っていた。
納得できない態度に、
感情的になって怒ってしまうことも増えた。
「どうしてそんな態度をとるの?」
「なんで話してくれないの?」
と理解できないことが続くと、
あんなにかわいかったわが子のはずなのに、
正直可愛くないと思う瞬間もあった。
「もう無理かもしれない」
「逃げ出したい」
そんな風に夜中にひとりで泣いたこともある。
思春期という大きな壁を前にして、
私はきっと焦りすぎていたのだと思う。
思春期の子供に私がやってしまった関わり方
「どうしたの?」
「何かあったんじゃないの?」
「ママが力になるよ」
今思えば、これらの言葉は全部、
”聞き出そうとする言葉”だった。
良かれと思って伝えていたアドバイスも
子どもたちにとっては、きっと重たかったのだと思う。
せっかく話してくれた時でさえ
私は「聞く」より先に、
否定したり、正論を返したりしてしまっていた。
子どもたちは、
ただ聞いてほしかっただけなのかもしれなかったのに。
その結果、
私は自分で子どもとの距離を広げてしまっていたのかもしれない。
そんな私に返ってきたのは、
強い反発だけではなく
”静かな拒絶”だった。
無視される。
腹を立てる。
またぶつかる。
その繰り返しの日々。
三人それぞれ違う反抗期|娘たちを通して気が付いたこと
長女は気持ちが表に出るタイプ。
長女が帰ってくると家の空気がピリっと変わる。
そんな時期もあった。
私が少しでも関わろうとすると、強く拒絶される。
理解できなかった私は、
腹を立ててぶつかってばかりだった。
一方で次女は、
反抗的な態度をほとんど見せなかった。
私の言うことを素直に聞く子で、
「この子には反抗期なんてないのかな」
そう思っていたくらいだ。
でも、今振り返ると、
反抗的な態度を見せないからと言って、
何も感じていなかったわけではないのかもしれない。
長女は気持ちをそのまま表に出すことで、
自分の想いを伝えていたのかもしれない。
次女は、次女なりの思春期の揺れがあったのだと思う。
同じように育てたつもりでも、
思春期の現れ方は子どもによって
全然違った。
そして今。
社会人になった長女は
驚くほど私に寄り添ってくれるようになった。
その一方で、素直だと思っていた次女が
少しずつ反抗的な態度を見せることも増えてきた。
どちらの気持ちも、
私は今になって、
やっと少しだけわかるようになった。
子育ては、何年たっても、
何人育てても、
初めての連続だ。
失敗して、
後悔して、
それでも少しずつ
「母親」にさせてもらっているのだと思う。
そして、娘たちの経験があるからと言って、
息子のことまでわかるわけではなかった。
中学生息子の反抗期で、また壁にぶつかる
そして今、
わたしは再び大きな壁にぶつかっている。
息子の反抗期だ。
息子は娘たちとは全く違うタイプ。
マイペースで、自分の考えもはっきりと持っている。
納得できないことには、真正面から大きな力でぶつかってくる。
だから、私も真正面からぶつかってしまう。
振り返ると、娘たちの時の私は
どこか私の「親の力」で
押さえつけていた部分があったのだと思う。
だからこそ、息子には同じやり方ではいけない。
頭では分かっている。
でも、うまくいかない。
正直に言うと、
そんな息子を「可愛くない」と思ってしまう瞬間もある。
でもそれは、
息子に問題があるのではなく、
私の中に、
「こうあってほしい」という期待があるからなのかもしれない。
「期待を手放す」と「無関心」の違いがわからない
期待しているから、苦しくなる。
思い通りにいかないと、ぶつかってしまう。
「期待を手放した方がいい」
「子どものそのままを愛せばいい」
そんな言葉を、よく見かける。
でも、私はまだよく分からない。
期待しないことと、
無関心でいることの違いが。
期待を手放そうとすると、
子どもを突き放してしまうような気がする。
関わること自体をやめてしまうような感覚になる。
「こっちの方が幸せになれるのではないか?」
「こう生きた方が楽なんじゃない?」
そんな風に思ってしまう。
それが私の価値観だと分かっているのに。
3回目の子育てになっても、
どうしても手放せない。
子供を大切に思っているからこそ、
期待してしまう。
でも、その期待がいつの間にか、
「あなたにはこうなってほしい」
という、私の想いになってしまっている。
その境目が私には今も難しい。
思春期の子供との関わり方|今の私が意識していること
「期待を手放す」と「無関心」の違い。
その境界は、今もわからず迷っています。
思春期の子どもとの関わりに、
「正解」なんて、きっとないのだと思います。
娘たちの時に後悔したことも、
息子に対して、うまく活かせているとも言い切れません。
でも、一つだけ分かってきたことがあります。
子どもを変えようとすればするほど
関係は苦しくなるということです。
(そして自分も)
心配することと、口を出すことは同じではない。
見守ることと、
無関心でいること、
きっと同じではない。
頭ではそう思っている。
でも実際には、口を出してしまうことはたくさんあるし、
「こうしてほしい」
とおもうことも、たくさんある。
3人目の子育てでもまだこんなものだ。
だから今は、
子どもに向けていた心の矢印の方向を、
少しだけ自分自身に向けるようにしています。
そんな風に自分の心を整える時間のことを書いた記事はこちらです。
☞今日は「風呂キャン宣言」お母さんを休んでワンコとドラマに溺れる一日
今までは、子どもの人生を自分の人生のように背負って
勝手に一喜一憂して、勝手に疲れてしまっていました。
でも最近は、「母親」だけではなく、
”私自身”の時間も大切にしたいと思えるようになりました。
少しでも、自分の心を満たすこと。
やりたいことを後回しにしないこと。
そうやって自分を整えることで、
以前よりは(笑)少しだけ、
冷静に子どもと向き合える時間が増えた気がしています。
可愛くないと思った日も必死で向き合っていた
子育てをしていると、
「ああすればよかった。」
「こうすればよかった」
そんな後悔はきっと消えないと思います。
でも、「可愛くない」思ってしまう
自分に戸惑ったときもあるし、
「逃げ出したいな。」と泣いた時もある。
時には間違った方向に進んでしまったこともあったかもしれません。
それでも、その時その時、
精一杯、子どもたちを愛して大切にしてきた。
不器用なりに必死だったことは本当のこと。
あんなにぶつかり合った長女は、
今は一番の味方になり、
そっと私を支えてくれる存在になった。
あの頃は、こんな日が来るなんて想像もできなかった。
だから今は、
「可愛くなんて思ってしまう私は、
ダメな母親だった」
そうやって、自分を責めるのはやめようと思う。
今も、まだ迷走中。
息子との関わり方も、
「これでいいのかな?」と悩む毎日だ。
それでも、
子どもたちの未来を信じるたい。
まずは私自身が自分の人生を楽しみ、
自分を大切にすることから始めたい。
「母親」だけでなく、”私”として。
そして、「こうあってほしい息子」ではなく、
目の前にいる息子を見られる母になりたいと思う。
思春期の子どもとのかかわりについては、
まだ迷いながらですが、これから少しずつ記事にしていきたいと思っています。
反抗期の子どもに疲れてしまう理由についてはこちらにも書いてあります。
☞中学生の反抗期で母親が疲れる理由|自分の感情に振り回される私
思春期の息子とスマホを巡ってぶつかる日々については、
こちらにも書いてあります。
☞今日も私はスマホと戦っている|思春期の息子と伝わらない親心

