娘が大人になっていくほど、私は「心のへその緒」を感じるようになった。
私は産婦人科で長く働いているせいか
親子、特に母子のつながりを
いつも『臍の緒』みたいだとイメージしてしまう
もちろん、物理的にはもうとっくに切れている。
だけど、心の中ではまだどこかで繋がっているような気がするのだ。
娘が不安そうにしていると、私までざわつく。
娘が迷っていると、私まで立ち止まってしまう。
逆に娘が笑ってる日は、私は子供以上に喜んだりもする
産婦人科では赤ちゃんが生まれると、『へその緒』を切る

それは、お母さんと赤ちゃんがそれぞれの人生を生きていくための必要な区切り。
だけど、心の中はそう簡単ではない。
「心配のしすぎじゃない」
「過干渉だよ」そんな風に言われることもある。
本当は私だって、上手に距離を取りたいと思っている。
子どもを信じて静かに見守れる母親になりたいと思っている。
だけど、私は社会人になった長女の『へその緒』さえも
まだ切る勇気がでないのだ(涙)
今日はそんな母親である私の心の中の書いてみようと思う。
見守りたいのに、手が離せない母の揺れる心
「子供のこと、やりすぎ!」
そんなこと頭では十分わかっている。
本当はもう少し上手に距離がとれるようになりたい。
子どもの力を信じて静かに見守れる母親になりたい。
「子供の自立を育てる」
そんな言葉に何度もうなずいてきた。
なのに、私は気が付けば一歩踏み込みすぎてしまう。
娘が悩んでいると私まで落ち着かなくなる。
困っている姿を見ると、「大丈夫?」と助けを求められる前に
先回りして手助けしたくなる。
本当は娘自身が考えて、迷って、失敗しながら答えを出すことが必要なのに。
それでも、私はつい手も口も出してしまう。
「子供のことを信じて見守る。」って素敵な言葉だ。
だけど、その”見守る”が私には思って以上に難しいのだ。
大人になっていく子供たちと、
距離感に迷う母の記事はこちらです。
☞
子供が前に進もうとしているのに、そのスピードについていけないときがある。
☞子供が前に進むときには、親の心は追いつかない
父親の見守れる距離がうらやましかった
娘のことで頭がいっぱいになっている私の隣では、
いつも何も言わず、静かに座っている夫。
必要以上に口を出すわけでもなく、
ただ静かに娘の話を聞いている。
そんな夫の姿にイライラしてしまう時もある。
「どうしてそんな風に平気なの?」
「心配じゃないの?」
そんな風に感じて、自分だけが苦しく思っているような気がして、
無性に腹が立ってしまうのだ。
だけど、本当は私もわかっている。
隣の父親は無関心なのではなく、
私よりも少しだけ子供との距離のとり方が上手なのだ。
必要以上に踏み込まず、それでもちゃんと娘を愛しているということ。
私はずっと「関わる」ことが愛情だと思っていた。
でも、黙って信じて待つことも、親の確かな愛情なのかもしれない。
子供は私の持ち物ではないと気が付いた日
私はやりすぎなのだ。
子供のことで頭がいっぱいになって、
気が付けば自分まで疲れ果てている。
そのくせどこかで期待している。
「こんなに心配しているのに!」
「こんなに考えているのに」
「こんなにやってあげたのに」
頼まれてもいないことをやっておいて、
そんな気持ちが自分の中にあることに気が付くたびに、
私は一人反省会をひらく。
やりすぎるから、疲れるし、期待もしてしまう。
子供の人生は、私の人生ではない。頭では分かっていたはず。
娘が大人になって離れていこうとする今、
私はようやくその意味を少しずつ理解し始めている。
「過干渉」なのは愛情なのか。
それとも、自分の不安を安心させたいためだけなのか。
いつでも、自問自答の日々
それでも、私は娘を思う気持ちと、
少しずつ手を放していかなければならない寂しさの間で
今日も揺れている。
母になるということは、
子どもを育てながら、自分自身とも向き合い続けることなのかもしれない。
☞子離れできない母として何度も立ち止まってしまう気持ちを書いた記事はこちら
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