受験期、私は娘のためにできることを探していました。
温かいスープを作ったり、
アロマを焚いたり、
少しでも眠れるように、
少しでも安心できるように。
そんなことだけを書いていると、
まるで、
「丁寧に娘を支える素敵なママ」
のように見えるかもしれません。
でも、白状するとそんな穏やかなのは
生活のほんの一部でした。
実際の受験期は、
もっと泥くさくて、
もっと余裕がなくて、
笑顔の裏で、
何度も自分の感情に負けそうになっていました。
「いい母」になりたいと思えば思うほど、
自分の中の黒い本音がふつふつと顔を出す。
励ましたいのに、
つい余計なことを言ってしまう。
黙って見守りたいのに、
心の中では何度も叫んでしまう。
今日はそんな受験期の伴走の裏側を、
ちょっぴり恥ずかしいけれど
書いてみようと思います。
あの頃の自分の本音も、
今なら少し正直に書ける気がします。
育児書の「正論」知ってる。でもできない。
子育ての本や、ネットには、
たくさんの正論が書かれています。
たとえば、
【怒らない育児】がいいとか、
最近は
【ほめない方がいい】という人もいる。
【結果じゃなく、過程を認めてあげる】とか、
【子どもの不安を受け止める。】
そんな風に書いてあることもある。
どれも間違っていないと思う。
私も、育児本は何冊も読んできたし、
頭では理解しているつもりです。
【母親の笑顔が1番!】
それも、よく分かっています。
本当に、分かっているんだけどね。
「わかっている」と「できる」は
全然違う。
子どもが調子がいい時は、
私の言葉も優しい言葉として届く。
私自身に余裕があるときは、
娘の不安も、弱音も、
受け止められる。
だけど、お互いの調子が悪い時には、
何もかもがうまくいかない。
いくら温かくておいしいスープがあっても、
アロマを焚いても、
お互いの言葉が刃のように突き刺さる。
「いいね」も
「大丈夫」も
時には傷つける言葉になってしまう。
傷つけるくらいならと「沈黙」を選んだとしても
その沈黙が壁になってしまうときもある。
母親だから強くなきゃいけない。
母親だから、不安な顔を見せちゃいけない。
そう思えば、思うほど、
心の中はどんどん苦しくなっていく。
母親だって、
母親だからこそ、
涙が止まらない夜もある。
台所で、一人で泣いた、受験生の母の本音
娘が落ち込むと
母である私の心まで引きずられてしまう。
本当は、
「この1年は娘のためにできることは何でもしてあげたい」
そう思っていた。
そう思っていたはずなのに、
現実はそんなにきれいごとではいかなかった
時々、自分の心がドロドロになって、
叫び出したくなる日もあった。
今、落ち着いて振り返れば、
娘は受験勉強で、
身も心も限界だったのだと思う。
でも、当時の私は、
娘の横柄にも見える態度を目の前にすると、
どうしても、受け止められない日があった。
「私だって、いろんなことを我慢しているんだよ」
そんな言葉がのどまで出てきてしまう。
「お金の心配なんてしなくていいよ」
そういったのは、私なのに、
娘が少し休んでいる姿を見ると
「いくらかかっているとおもっているの?」
そんな言葉をつい言っちゃうこともあった。
言った瞬間に、自分でもわかるのです。
サポートする側の傲慢な気持ちだと。
娘のために。
娘を一生懸命支えている。
そう思いながら、
心のどこかでは
「ちゃんと頑張ってほしい」
そんな風に思っていたのかもしれません。
こんなにしているのだから、
もっと頑張ってほしい。
こんなに我慢しているのだから、
分かってほしい。
そんな親のエゴが、
綺麗な言葉の裏には隠れていました。
そんな気持ちに気が付いて、
余計に落ち込んで台所で、一人で泣いたこともありました。
娘を支えたい。
でも、優しくできない。
励ましたい。
でも、責めるような言葉が出てきてしまう。
受験期の母の心は、
自分が思っていたものよりも、
ずっと弱くて、なさけなくて、
簡単に揺れてしまうものでした。
笑顔の裏で、鬼の面が顔を出す日
私は、いい母でいたかった。
娘が不安な時には、
笑顔で受け止めてあげたかった。
どんな時も、
「大丈夫だよ」と言ってあげられる母でいたかった。
でも、現実の私は、
そんなに立派な母ではありませんでした。
笑顔の裏で、
鬼の面が顔を出す日がありました。
娘の態度に傷つき、
言葉にイライラし、
不安そうな顔さえ受け止められないことがありました。
アロマの香りが部屋に広がっていても、
温かいスープを用意していても、
心の中までは、
そんなに簡単に整いません。
「支えている母」という顔の裏側で、
何度も、感情に振り回されていました。
そして、そんな自分が嫌でした。
娘が一番つらいこと、
私が一番わかっていてあげたいのに。
でも、支える側の私にも、
不安がありました。
焦りがありました。
疲れがありました。
誰にも言えない、黒い気持ちがありました。
それを認めることさえも、
当時の私には怖かったのだと思います。
受験が終わった今でも後悔している言葉
今でも、忘れられない言葉があります。
寒い朝、、娘と一緒に受験会場まで向かう道
娘がぽつりと言いました。
もう、やになっちゃう!
むずかったら、途中で、やめてくるかも・・・。
ママにはきっとわからないと思うけどさ。
その言葉を聞いた時、
私は不安を受け止めてあげるべきだったのに。
「そうだよね」
「緊張するよね」
「わからないと嫌になっちゃうよね」
「ここまで本当によく頑張ったもんね」
そう言ってあげられたら良かった。
でも、実際に私の口から出たのは、
違う言葉でした。
そんなこと言わずに、最後まで頑張っておいで、、、。
みんなもあなたのためにいろいろやってくれたんだから。。。
言ってしまった瞬間、はっとする。
見上げると、娘の目からは涙がこぼれていました。
そんなこと、
言わなくても娘は十分わかっていたはずでした。
誰より頑張ってきたのは娘本人だったのだから。
プレッシャーを感じていたのも、
怖かったのも、
逃げ出したくなっていたのも、
娘だったはずです。
それなのに。
一度口にした言葉を、
うまく取り消すこともできませんでした。
励ます言葉も見つからないまま
受験会場へ。
無言で、ハイタッチして、
娘は会場内へと消えていく。
言ってしまった言葉は取り消せない。
あの日のことを思い出すと、
今でも、胸の奥が苦くなります。
今なら、あの日の私に言いたいこと
今なら、
あの日の私に言ってあげたいことがあります。
完璧な母じゃなくてもいい。
毎日笑顔でいられなくてもいい。
不安になったり、
焦ったり、
優しくなれない日があっても、
それだけで母失格ではない。
受験期の親は、子供を支えているようで、
実は自分自身の不安ともずっと向き合っています。
その苦しさを、
全部きれいな言葉で隠さなくてもいい。
だけど、言ってしまった言葉はやっぱり残る。
だからこそ、
言ってしまった後悔をなかったことにせずに、
次にどう関わるかを考えていけばいい。
そう思えるようになったのは、
受験が終わって、
少し時間が経った今だからなのかもしれません。
それでも、娘を支えたかった
あの日の私は、
決して正しい母ではありませんでした。
娘の不安を受け止めきれなかった。
余計な言葉を言ってしまった。
自分の不安を娘にぶつけてしまった。
でも、それでも、
私は娘を支えたかったのだと思う。
受験生の母として、
できることを探し続けた日々。
その中にはスープやアロマのような
穏やかな日もありました。
でも、同じくらい、
思い出すのが苦しくなるような日もありました。
きれいなだけの母ではなかった。
優しい母だけでもなかった。
でも、迷いながら、
間違えながら、
娘のそばで一生懸命だった。
今はそう思っています。
受験期の母の本音は、
きれいごとだけではありません。
だからこそ、
この日のことも残しておこうと思います。
同じように受験生を支えながら、
苦しくなっているお母さんがいたら、
どうか自分だけを責めすぎないでほしい。
優しくできない日があっても、
不安に飲み込まれる日があっても、
それだけで、母失格ではないと思うから。
ただ言ってしまった言葉の重さは、
なかったことにはできない。
でも、その後にどう向き合えばいいかは、
これからも選んでいける。
後悔も含めて、
これからの娘との関わり方を考えていきたいと
思います。
娘を受験会場へ送り出したあと、
私が神社を巡りながら自分の心と向き合った日のことは
ことらに書いてあります。
☞受験当日、娘を見送ったあと|母が神社を巡った理由

