娘の新生活が始まって1週間。
「友達出来たよ!」「ご飯も食べてるよ。」という報告に
ホッと一安心して
パパのソワソワを横目に笑い飛ばしていた私。
けれど、そんな私のもとに夜中に届いた1通のメール
「学校行きたくない。ママに会いたい。」
メールを開く手が震えた。
何があったのか、どんな気持ちでそのメールを送ってきたのか。
離れている私には、今すぐ顔を見に行くことも
抱きしめてあげることもできない。
どんな風に声をかけてあげたらいいのかもわからないまま、
眠れない夜を過ごした。
引っ越して1週間、新しい生活が始まった。
慣れない土地、知らない人たち。
学校では自分のことをよく見せようと気を張っているのだろう。
でも、家に帰っても誰もいない。
暖かいご飯があるわけでもない。
誰かが「おかえり」を言ってくれるわけでもない。
自分でご飯を作って、誰とも話さず一人で寝る。
「大丈夫!」「やってるよ!」と明るく見せていた娘はきっと
気を張りつめながら、精一杯頑張っていたのだと思う。
「会いたい」の一言に込められたSOS
ふとした瞬間にあふれ出した「会いたい!」
ほんの短いメール
でも短いからこそ、その言葉は重かった。
娘はどんな顔をしているんだろう。
泣いているかもしれない。
一人ぼっちで、泣いている姿を思い浮かべると
いてもたってもいられなくなる。
今までは、すぐ助けてあげられたのに。
なんでもすぐに助けてきたことが、いけなかったのだろうか?
そんなことまで考えてしまう。
「大丈夫?」も「頑張れ!」も言えない母の葛藤
何よりも苦しいのは、なんて返したらいいのかわからない自分自身。
「だいじょうぶ?」も違う気がするし、
「頑張れ!」は、酷すぎる。
「辛かったら帰っておいで!」本当はそう言ってあげたいけど、
そう言ってしまったら、「娘の今までの努力の1年」を、
これから、頑張ろうとしている娘自身を
否定してしまうような気がする。
母なのに、こんな時にちょうどいい言葉が出て来ない。
抱きしめてあげたい。
ただ、それだけなのに、この手が届かない。
その苦しさに、胸が締め付けられる。
離れて暮らすというのは、言葉ひとつの重みが変わるのだと思う。
そばにいたころなら、言葉よりも先にできたことが、今はできない。
ママはここにいるよ
悩んで悩んで、たった一言
「ママはここにいつでもいるよ。」
そう送った。
その言葉が正しいなんてわからない。
私のパソコンのキーボードを押す指がまだふるえている。
できることなんて、本当に何もない。
娘の力を信じる。
ただそれだけ。
「あなたは自慢の娘です。愛している。きっと大丈夫だよ。」
同じように、離れて暮らすわが子のことが心配でたまらないお母さんへ
新生活が始まったばかりのこの時期、
離れて暮らすわが子のことが心配で居ても立っても居られない気持ちでいるのは、
きっと私だけではないと思います。
看護師として、たくさんのお母さんたちに寄り添ってきたつもりでいましたが、
わが子のこととなると、こんなにも脆く危うい自分自身がいました。
でも、それでいいのだと思います。
その心配で、たまらない気持ちこそが、
愛情である証なんだから。
何かをしてあげられなくても、ただ「ここにいるよ」と伝え続けること。
それが今の私にできる精一杯の愛情なのだから。
離れて暮らすようになっても、
母の気持ちは簡単には切り離せないのだと思う。
そんな気持ちを書いたのが、この記事です。
☞産婦人科ナースの私が、大人になる娘との「心のへその緒」を切れないわけ
新学期の始まる4月。
同じように子供を想っているお母さんたちにそっと届きますように
引っ越しした日のことは今でも忘れられません。
バタバタの中で迎えた我が家らしい1日でした。
☞引っ越し当日のリアル~最後まで我が家らしい1日~
また娘が家を出た後の少し静かになった家のことも書いています。
☞娘がいない家で、変わらない息子と寂しそうなパパ
