何か始めたいのに、
「今さら遅すぎるのでは」と思うことありませんか?
我が家の次女がピアノを始めたのは、
中学2年生の頃でした。
小さい頃から習っていたわけではありません。
音楽はむしろ苦手だった方かもしれません。
それでもある日、娘が急に言いました。
ピアノをやりたい
今までは、どちらかというと
引っ込み思案で、
自分から「これをやりたい」と
言ったりすることが少なかった娘。
そんな娘が自分から
「やってみたい」と言ったのです。
だから、その言葉がとってもうれしかった。
でも、同時に心配もありました。
今から始めても大丈夫なのかな。
思うように弾けなくて、
「やっぱりできなかった」と
傷ついてしまわないかな?
うれしさと心配が
同じくらい胸の中にありました。
自信をなくしていた頃の娘
その頃の娘は、
友達とうまくいかないことも
多かった時期でした。
家の中では、
勉強は得意だった長女と、
野球に打ち込む長男の間に挟まれて、
自分には何もできることがないように
感じていたのかもしれません。
母の私から見ても、
どこか自信をなくしているように見えました。
だからこそ、
娘の「ピアノを弾きたい」の言葉は、
私にはとても大きなことのように感じました。
上手になれるかよりも、
続くかよりも、
「やってみたい」と思ったこと。
そして、
「やってみたい」と言えたこと。
それだけで、十分意味があることに感じました。
たった2年でも、娘の中に残ったもの
そこからピアノを用意して、
教室を探しました。
だけど、すぐに高校受験が始まり、
高校に入れば部活。
そして、その先には大学受験。
結局、ピアノ教室に通えたのは、
たったの2年だけでした。
それでも、
娘はピアノを弾くことが楽しくてたまらない様子でした。
少しずつ弾けるようになっていくことが
とてもうれしかったのだと思います。
間違えても、間違えても、
何度も同じところを練習して、
少しずつ音がつながっていく。
そのたびに
娘の顔が嬉しそうに
輝いていくのが
手に取るように分かりました。
上手に弾けることよりも、
弾けるようになっていく時間そのものが、
娘にとっては大切だったのかもしれません。
「summer」の音に涙が出そうになった理由
娘がよく弾いていた曲のひとつが、
久石譲さんの『summer』でした。
完璧に弾けるわけではありません。
時々、少し音が外れてしまうこともありました。
それでも、
娘の弾く『summer』は、
私にとってとてもやさしい音でした。
きれいな音色が、
一生懸命に弾く娘の姿そのものに思えたのです。
うまく弾けるかどうかではない。
娘が自分で選んだ曲を、
自分の手で奏でていること。
それが私にはたまらなく愛おしかった。
中学の頃、
自信を無くしていたように見えた娘が、
自分の好きな音を見つけて、
何度も何度も弾いている。
その曲を聞くたびに
私は涙が出そうになりました。
受験が終わって、また聞こえてきた音
大学受験が終わり、
春休みが始まった頃。
少し遅い朝に、
家の中に久しぶりにピアノの音が流れてきました。
『summer』でした。
少しぎこちなくて、
でも、やっぱり心のこもった音。
その音を聴いた瞬間、
中学の頃の娘の姿がふっとよみがえりました。
友達のことで悩んでいた頃。
自信をなくしていた頃。
それでも「ピアノをやりたい」
といった日のこと。
そして今、
大学受験を終えた娘が、
また同じ曲を弾いている。
あの頃と同じようで、
でも少しだけ違う音。
娘はちゃんと前に進んできたのだと思いました。
何かを始めるのに、遅すぎるということはない
私はどこかで、習い事を始めるなら
早いうちがいいと思っていた。
ピアノなんて
今から始めても遅いのではないか。
続かなかったらどうしよう?
できなかったと傷ついたらどうしよう?
そんなことばかり考えていました。
でも、娘がピアノを弾く姿を見ていて思いました。
何かを始める意味は、
上手になることだけではないのかもしれないな。
自分で「やりたい」と思えたこと。
少しずつできるようになる喜びを知ったこと。
好きなことを楽しむ時間があったこと。
好きな音を、自分の手で鳴らせたこと。
たった2年でも、
娘の中にはちゃんと残っていました。
そして、その音は、
母の私の心にもずっと残っています。
娘の音が、私にも教えてくれたこと
娘のピアノの音は、
私自身にも重なりました。
子育てばかりしてきた私。
母として、
ナースとして、
家族のことを優先してきた日々。
以前の私は、
子育てが終わってしまうと、
何も残っていないような気がして、
いつもどこか焦っていたように思います。
子どもたちが巣立っていくことはとてもうれしい。
でも、その一方で、
母として走り続けてきた時間が終わったら、
私は空っぽになってしまうのではないか。
そんな不安が、心のどこかにあったと思います。
でも、娘のピアノを聴いているうちに、
そして、一生懸命に楽しそう弾く娘の姿を見ているうちに、
少しだけ考え方が変わっていったように思います。
何かを始めるのに遅すぎるということはない。
いつからだって始まられる。
いつからだってやり直すこともできる。
子育てだって同じだろう。
もうすぐ巣立ってしまうと
寂しがるだけではなく、
今、目の前にある子どもとの時間を、
もう少し味わってもいいのかもしれない。
子供が少し大きくなった今からだって
子育てを存分に楽しんでもいいのだと思う。
子育てが終わったら
何も残らないなんてことはない。
子育てを通じて感じたこと。
悩んだこと。
うれしかったこと。
子どもたちからもらったもの。
その全部が
今の私を作っている。
そして、これからの私も
作っていくのだと思いました。
娘が中学2年でピアノを始めたように。
わたしもまた、
これからの人生で
新しいことに挑戦していきたい。
でもその前に、今しかない子どもたちとの時間も、
もう少し楽しもうと思う。
娘の弾く少しぎこちない
「summer]は、今でも私にそう教えてくれる。
たった2年の音。
でも、その音は、
娘の成長と、
私自身のこれからを
静かに照らしてくれている気がします。
何かを始めるのに、遅いなんてことはない。
そう思わせてくれる音が、今日も静かに流れている。
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